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HTML殺人事件
09
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1月の半ばと言えば最も寒い時期だが、今日の多摩川の河川敷には夥しい量の光が降り注いでいるように感じる。
冬至を過ぎて、まだ何週も経っていないのだから気のせいかもしれないが、太陽のパワーはなかなか強いように見えた。
前を蛇行しながらのろのろ走っていたサエジマさんのママチャリが止まる。スタンドを立てて補助椅子のマミちゃんを降ろした。
「おおい、遠くへ行っちゃだめだよ」
走り出したマミちゃんにサエジマさんは、うろたえ気味に叫んだ。
「この辺の治安も悪くなっててさ。最近、連れ去り未遂みたいなのが何件か起きてるんだ。ホームレスも増えてるし。もうちょっと下流へ行くとダンボールハウスが立ち並んでるんだよね」
サエジマさんはマミちゃんの行方に視線を送る。
「まあ、こんなこと言うのは差別かもしれないけど、親としちゃ心配でね」
サエジマさんは、たしか障害者関係のボランティアもやってたはずだ。偏見じみた悪意の持ち主でないのはルネにもわかっていた。
「まあ、危ないのは、そこら中どこでもだけどさ。うちの業界にしたって怖い状況は出てきてるんだよね。
企業舎弟っていうの?ヤクザの資金源なんだけど、そういうのが入り込んでるって噂がある。そんなところに、うっかり個人情報なんて送っちゃうとやばいぜ。まあ、懸賞なんかにつられて教えちゃってる人が相当いるみたいだね。生年月日や住所ばかりでなく、家族構成や学歴、年収まで尋ねるところもあるからさ。名簿にして売られるくらいなら、まだいいけど、もっと恐ろしい成り行きだって考えられる」
サエジマさんは西の、空の状態が良ければ富士山が見える方向に目を向けた。その視線を追ったルネは、雲の形も春に近づいているように感じる。
でも、まだまだ、これから寒い日が多いのだ。
「その会社がヤクザ関係だって知ってるのは経営者と幹部の一部だけで、あとの社員は、そんなこと、まったく知らないらしい」
マミちゃんが駈け戻ってくる。だが、ルネたちの手前で身を翻して、また駈けて行こうとする。サエジマさんが追いかけ、マミちゃんは笑い声を上げて逃げる。
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<父親を殺す時。それが神話の世界の始まりと終わりと、そして、すべてだ>
突然、ルネの頭の中で響く声がある。世界が黒い靄で覆われ、その底深くから響いてくる声。
この言葉をいつ聞いたのだろう?とても幼い頃、ルネの父親が言っていたような気もする。これは父親の声だろうか?
それとも、それは遠い昔に見た、夢の中の出来事だったろうか?
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「いいなあ、このマウンテンバイク。俺も欲しいけど、けっこうするんだろ?女房のお許しが出るかなあ」
サエジマさんはルネのチャリを様々な角度から眺めている。
微風というよりやや強めの風が断続的に吹きかけてきた。サエジマさんの頭頂部は明らかに薄くなりかけている。でも、数年前に出来ちゃった結婚をした頃は、まだ20代だったと聞いているから、それほどの年齢ではないわけだ。
「こういうサスペンションなんかがちょっと目立ってて高そうに見えるのは、意外と、たいしたことないのが多いんですよ。これはママチャリより多少高い程度だし。
まあ、これで本当に山の険しいところなんか走ったら、壊れたり怪我したりしかねなくて、ちょっとやばいですね。本格的なMTBなら10万は出さないと…」
「いや、もうこの歳この身体で、そんな大それたこと考えてないよ。それなら俺も安いの買おうかなあ。いつの間にか、こんなに腹が出てきちゃったし。運動しなくちゃ。
これならスピードも出そうだなあ」
対岸を白いロードレーサーが走っている。赤いヘルメットに黒と黄色のウェア。
ルネは、それを指差しながら言った。
「ねえ、サエジマさん。ああいうのどうですか?」
「あれは鉄人レースなんかのやつだろ?とてもとても」
「いえ、あれはロードレーサーで、トライアスロンには、それ専用のがあるんです。まあ、ああいうのでやってる人もいることはいますけどね。でもロードレーサーに似たタイプですがドロップハンドルじゃなくて、T字になってるクロスバイクっていうのがあります。それは、タイヤが細いからMTBよりスピードが出ますよ。こんどは、そちらで来ましょうか。でも、歩道を走ると淵の角張った部分でタイヤをいためるんですよね。都内だと違法駐車が多いから車道は走りにくいし」
「歩道は車椅子の人にも不便にできてるよね」
サエジマさんは戻ってきたマミちゃんの頭に手を置いた。マミちゃんは笑い声をあげて身をくねらしている。
「ここへ登って来る時だって、君は楽々だもんな。このママチャリは、この子が乗ってるとはいえ…、それにしてもきつかった」
サエジマさんは苦笑する。
「サドルは、ペダルがいちばん下へ行った時、脚が伸びきる少し手前くらいの高さがいいんですよ。路面につま先が届くくらい。そうすると力が効率よく入ってスピードが出るし、坂だって楽に登れます。よく言われてる路面に踵がつく高さは間違った常識」
ルネは、物を持ち上げる時だって、この方がやりやすいでしょう?と手のひらを上向きにして膝を屈伸させ、ジェスチャーで示した。
「そうだったのか、これはママが乗るのに合わせてあるから疲れるわけだ。やっぱり買うっきゃないかな…。クロスバイク」
「うん、何てったって、ライダーズハイとランナーズハイを同時に味わえますよ」
長距離ランナーが疲労や苦痛を感じた時、脳内で分泌される物質がそれらを打ち消し、やがて快感の域にまで達するようになる。ランナーズハイと呼ばれる現象だ。
これとバイクで高速疾走する時の快感。このふたつを同時に味わえるのがチャリダーだ。とルネは半ば冗談めかして言った。
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「じゃあ、よろしくね。君なら携帯サイトなんてちょろいもんだろ?あれだけのページ作ってるし。機種のチェックはこちらで手配するから」
「XHTMLで書けばいいんですね。まあ、タグも少ないし…」
「急な仕事で悪いけどさ」
サエジマさんが支えるとマミちゃんは補助椅子によじ登る。マミちゃんがルネにバイバイと手を振り、ママチャリは走り出した。
1キロ程離れた一戸建てがサエジマさんの仕事場兼住居だ。2階の和室と廊下にはLANケーブルが所狭しと走り、今も数人のスタッフがディスプレイに向かいキーを叩いているだろう。
サエジマさん親子の姿が遠ざかると、ルネも走り出した。246まで回って環七へ入るので、そこまでの川沿いは車がいなくて快適だ。スピードが乗るとフロントギアをハイに上げ、更に左手をひねってリアも上げる。
走りながら彼の脳裏に今朝、takayoが転送してきた数通のメールのことが浮かんだ。
ペダルを踏み、自分の生み出す速度が作り出す風。無数の微細に振動する紐のようなその流れを顔や身体に感じながら、ルネはその内容を反芻していた。
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