
HTML殺人事件
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ルネが部屋に帰るとメールが届いていた。1通は村岸達也からで、もう1通はtakayoからだった。
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送信者 村岸達也
宛先 Rene
件名 多世界さんの情報、ほか。
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村岸達也です。
こんにちは。
ルネさん、お元気にされてますか?
ところで、多世界さんについて、ちょっと情報が入りましたのでお知らせします。
こちらに新しいサイトができたようです。
http://m-world.xxx/
今度のサイトも相変わらず動的ですが、以前のようなJavaScriptよりもFlashが多く使われ、WMPやRealPlayerで見る作品もあります。まあ、ブロードバンドが普及してファイル転送のストレスが軽くなったので、より、彼のやりたいことができるようになったということでしょうか。
言葉の面ではは、カットアップなど、シミュレーショニズムの方法が使われているようです。(という印象を私はもちましたが…)
百聞は一見に如かずですから、サイトの方を、ぜひ、ご覧ください。
それと、ルネさんの方でも何か、多世界さんについてわかったことがあったら、お知らせいただけませんか?創作活動に限らず多世界さんの個人的なことでもけっこうです。あるいはルネさんなら多世界さんとコンタクトできるかもしれません。私の方でも興味があって調べていますので協力してください。
これは別の話なんですが、高瀬川麗佳さんたちのことについては、もう過去のことですし、詮索するのは終わりにしたらと思うのです。ルネさんもご存知のことと思いますが、関係者の中で亡くなっている方もおられるわけで、そんなこんなで、あの頃の細かい事を突ついたり人目に晒したりしては故人の霊も安らかでいられないでしょうから。
それから私の友人には今、真面目に、そして純粋に詩作に励んだり、詩が日本でより多くの人たちの間に入っていくよう活動している者たちがいて、彼らの努力により、だんだんいい方向へ行きかけている事が、水の泡になってしまうような事態も考えられるんです。
あまり具体的な事を書くわけにはいきませんので、まあ例えば出版界とか文壇とか、世の中にはいろいろあるということで、よろしくご配慮ください。
それでは、また。
村岸達也
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takayoのメールは、この前のファイルがウイルスか何かだったりして危険なことはなかったかと尋ねたものだった。
ルネは、拡張子を書き換えてみてJAPEGの画像だとわかった経緯を書き、読み取った文章のテキストファイルを添付して返信した。
ルネは、それから村岸のサイトにアクセスした。
◆村岸達也の最近のお仕事◆
言葉の残像(評論 ) 季刊現代詩ノート:0X年冬季号
浮遊するポエマ―(ネット詩論) ポエトリー・トレイン:0X年10月号
空洞の黄昏を背にして(詩作品) 現代詩ジャパン:0X年8月号
夜のボキャブラリー(詩集) 詩蝶舎
吉増剛三の世界(評論) 月刊読書の友:0x年7月号
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村岸のサイトには詩の投稿板もあった。Poem Villageのように大規模ではないが、それでも常連が時々投稿したり感想を書いたりしている。村岸も時間のある時にレスしているようだった。
投稿の多くはいわゆる現代詩といわれるジャンルの雰囲気をもった作品で、ここというところでレトリックやメタファーのような文章のテクニックを決めている。いずれも手慣れの詩人たちと言えそうだ。
BBSはワークショップや朗読会の宣伝、詩誌や個人詩集の発行の告知、さまざまな近況報告のほか、お気に入りの詩人、作品の礼賛、誌壇のあり方についての意見などが書きこまれていたが、書きこんでいるそれぞれがひとかどの人間を気取って、そこにできあがっているヒエラルキーを護りながら、文化人ごっこをしている印象は否めない。
ルネは村岸のページを閉じて、それから村岸のメールをもう一度読んだが、何となく腑に落ちない部分があった。
それと、ルネさんの方でも何か、多世界さんについてわかったことがあったら、お知らせいただけませんか?創作活動に限らず多世界さんの個人的なことでもけっこうです。
村岸が多世界についての情報を得たがっているのは、どういうことなのだろう。村岸自身が書く詩はオーソドックスな現代詩だし、評論なども、その傾向にある有名無名の詩人や作品に関するものが多いようだ。
ポエトリー・トレイン:0X年10月号に掲載の「浮遊するポエマ―」は、ネット上で発表される詩についての考察だが、いわゆるポエムや歌詞ふうの作品に対してだけでなく、HTMLやCSSを使ったビジュアル詩やFlash、DHTMLで動的な試みをしている作品にも批判的な論説を展開していたらしく、ちゃんねる・ぜろの詩板をはじめ、あちこちで、反発する連中の罵詈雑言を浴びている。
だから、村岸が多世界に興味をもつことに、ルネは何か不自然な印象をもったのだった。もしかしたら行きがかり上、新しい動きに対して大々的な批判の動きを起こすつもりなのだろうか。しかしそういうのは、村岸にしては、ちょっと大人気ない感じがした。
また、この部分にも引っかかる何かがあった。
それから私の友人には今、真面目に、そして純粋に詩作に励んだり、詩が日本でより多くの人たちの間に入っていくよう活動している者たちがいて、彼らの努力により、だんだんいい方向へ行きかけている事が、水の泡になってしまうような事態も考えられるんです。
あまり具体的な事を書くわけにはいきませんので、まあ、出版界とか文壇とか、世の中にはいろいろあるということで、よろしくご配慮ください。
これ以上レイカたちのことを調べると、村岸の周囲の詩人たちが活動を続ける上で、何らかの不利益を蒙るというようにも受け取れるが、どうして、そんな事が起きるのだろう。レイカの父である高瀬川雅堂は自殺しているが、それと関係が起きるのだろうか。しかし、生きているなら、有名人の彼が出版関係へのパイプを使って圧力をかけることも考えられるが、高瀬川雅堂はもう死んでしまっている。
それなら、そのような場合、雅堂以外で困る人間が出てくるのだろうか。
だとしたら、その人間が社会的な影響力をもっていて村岸を動かしているのかもしれない。人物というより団体や組織のようなものだろうかともルネは考えた。最近、自分の周囲で起きた出来事の陰にカルトの姿がちらほらと見えることもある。しかし、ここで関係している明確な根拠はない。
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