HTML殺人事件

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 渋谷の駅前広場の上は、そこだけ空がぽっかりと開いていて、そのため心が休まるようでもあるが、しかし、自分の内部に空虚さを誘うようにも感じられる。
 周囲の動きに合わせ、ルネはスクランブル交差点を渡りはじめた。
 歩行者用信号が青に変わると、それまで、それなりに保たれた秩序の中にあったものたちが、スクランブルエッグのようにかき混ぜられる。
 そのカオスの中に入って行くと、周囲の建築物も含めた町全体が攪拌されているように見えた。何はともあれ秩序が崩壊するのを眺めることには快感がある。秩序に依存し、そこが居心地良くなることは、たぶん老化現象だ。

 動き出した人の流れに合わせ、ルネは横断歩道を渡って行った。船が接岸する時のように、突き当たりの歩道や建物が近づいてくる。都市が美しいのは遠景からプラスティックのレプリカのように見える時や、デジタルカメラの画像の中に切り取られて画素の集積に置きかえられた場合だろう。間近で目に入るのは、いかなる関わりをも拒否しながら存在を続けているように思える、ざらついたコンクリートの表面だ。だが、単に無機質なのではなく、そこにあるすべてには人間たちの垢が付着し、かれらの体臭が交じり合ってそこに残留している。

 道玄坂の方にある居酒屋で、たしか最近、ぽえ村のオフ会が開かれたことを、ルネは参加したメンバーのブログで読んでいた。ルネはネットのオフ会というものには行ったことがない。自転車系のサイトでもオフ会でツーリングをやっているようだが、集合場所からそれぞれのペースで勝手にコースを走り、ゴールへの到着が遅れると打ち上げへの参加もできないらしく、まあ、それはそれでクールなのだろう。
 そう言えば最近のWEBでは、少し前のような“クール”という評価の仕方をしなくなったようだと思いながら、ルネは交差点を渡って、そのまま真っ直ぐセンター街に入った。途中の角で折れてスペイン坂へ回り、パルコの横から坂を上って行く。
 NHKの横を代々木公園の方向に行くと、公園の入口近くで初老の男が露店を開いていた。路上にシートを敷いだけの店だ。画用紙のような紙にサインペンで短い文章を書いたものが十数枚並べられていて、それが商品らしかった。風で飛ばないよう、それぞれにライターや眼鏡ケースや小石の重しが置かれている。

詩板/渋谷のホオムレス詩人について語るスレ

1:東京無宿
 渋谷のNHKに近いの辺りで詩を売ってるおっちゃんをハケーンしますた。
 紙に手書きしたのを売ってます。
 だいたいが数行の短い詩で、時々売れてるみたいです。
 洩れが見ていた30分くらいの間にも2人が買ってますた。

 見てるだけなのも悪いので1枚買うことにしました。
 おっちゃんは、値段はつけてないからいくらでもいいと言うので、
 洩れは金がないからこれで勘弁してと500円払いますた。
 前の人たちは2〜3000円払っていたので、ちょっと気が引けましたが、
 おっちゃんは笑顔で洩れに「ありがとうね」と丁寧に頭を下げ、
 いい人だなと思いますた。

 洩れが買った詩は『負けないぞ』という題で
 ここに書くと著作権上の問題があるかもしれないので、やめときますが、
 何だか力づけられる内容です。
 ネットの投稿サイトに書きなぐられてるような、
 かっこつけたりインテリぶったり自分の弱さを晒してるようなのとは違い、
 人生の重みというか、そういうのが感じられます。
 おっちゃんはたぶん、人生経験豊富なのだと思います。
 それから、少し、話をしましたが、
 おっちゃんは昼はこうして詩を書いたり売ったりしていて、
 夜は野宿するホームレスの生活を何年もやってるそうです。

 おっちゃんの名前(ペンネーム?)は司 徳馬です。

 露店の主らしい男は一篇書き上げたらしく、今まで書いていたページをスケッチブックから破り取った。身を屈めて並べられた紙を整理し、その中に割り込ませる。
 それぞれの詩には司 徳馬と署名があるので、彼がちゃんねる・ぜろの詩板で噂になっているホームレス詩人だとわかった。
 司 徳馬はジャンパーのポケットを探しまわった後、折り畳み椅子の脇に置かれたバッグからセロテープのカートリッジを取り出して今並べた紙の上に置いた。弱い風に紙が多少はためくが、飛んで行くことはない。
 再び椅子に掛けたので顔が見えた。源さんではない。
 ルネはスレッドを見た時、ホームレスと詩との関連から源さんのことがちょっと頭に浮かびはしたのだが、その路上詩人が源さんだと考えたわけではなかった。そして、彼はやはり違っていた。

 ルネは並べられた詩を端から順に見て行った。詩の脇に太陽や花や子供などの簡単なイラストが描かれたものある。ちゃんねる・ぜろのスレに誰かが、あいだみつおや武者小路実篤と似た雰囲気だと書いていた記憶があるが、たしかにそんな気がしないでもなかった。
 ルネは、その中の1枚を手に取って店主に告げた。
「これ、いただきます」
「ああ、値段はつけてないですからね。あなたのご都合で、いくらでもいいんですよ」
 ルネはウォレットから千円札を3枚出した。司 徳馬は「あれ、いいの?」と一瞬ちょっと驚いたような顔をして、紙幣を拝むように受け取った。ちゃんねる・ぜろに書いてあったことから考えて、その程度払うのが適当だとルネは思ったのだが、本当はもっと少なくていいのかもしれないし、司 徳馬は謙虚な人なので、いつも遠慮がちな様子を見せるのかもしれない。
「ありがとうございます。まあ値段はあってないようなものだから…。十円玉をひとつだけ置いてく子供もいるんだけど、それで結構。とにかく私の書いた文章なんかがお金に代わるってのは大変なことですよ」
 自分ではわからなかったが、ルネが何か意外そうな顔をしたのでそれに反応したのだろうか、司 徳馬は笑顔でこう言った。

 紙幣を渡した後、ルネはそのまま立ち去るのは何だか素っ気なさ過ぎるように思えた。何か喋らなければという強迫観念に憑りつかれたのに似た気持ちで、ルネは思わず、こんなことを口にしていた。
「僕の知り合いにホームレスの人がいるんですが、その人も詩が好きみたいで、宮沢賢治なんか読んでました。お知り合いってことはないですよね」
「ふうん、何て人?通り名でもいいんだけど」
「源さんていうんですけど」
 司 徳馬は風に飛ばされそうになった紙を慌てて押さえ、重しの位置を調整すると、また座りなおした。

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