HTML殺人事件

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 部屋に帰って、ルネはiTunesにDLしたままになっていた音楽を何曲か聴いた。60〜80年代のロックやクラシックやテクノやアンビエントやジャズなどジャンルについては統合失調的かもしれない。
 ルネは、それらのどれもフルコーラスを聴くわけではなく、適当なところで別の曲に移った。それぞれは名曲といえるし、おそらくアーティスト渾身の作品なのだろうが、すべての受け手に必ずしもじっくり聴かれるわけではない。

 そうしている間、ルネは頭の隅で、やはり、さっきのホームレス詩人に頼んでおくべきことがあったのではと考えた。何となく源さんのことが気になって、連絡を取れたらと思ったのだ。というより、ずっと意識の底部にあった種子のような感情が発芽したのかもしれない。それは次々と曲を変えるのにしたがって、しだいに増幅されていった。

 ルネは自分に宛てたメールを送れるフォームのページを作ることにした。これがあれば、メールアドレスをもっていなくても、例えばネットカフェからルネ宛てのメールを送ることができる。司 徳馬以外にも、源さんと行き会う可能性のある人間がいたらURLを伝えてくれるよう頼んでおけばいい。

 まず、海外にあるサーバーのフリーHPスペースで、CGI設置可のものを探した。フリーでは、というか、有料やプロバイダーがユーザーに提供するものでもCGIのファイルは置けない場合が多々ある。欠陥のあるスクリプトを置かれるとサーバー全体に悪影響を及ぼすことがあるからだ。
 しかし、CGI設置可のフリースペースも探せば見つかる。海外のサーバーにしたのは、万一の時、その方が日本からの捜査が及びにくいからだ。
 アンダーグラウンドの情報サイトからsendmail機能を使えるフリースペースを何ヶ所か覗いてアクセス状態の良さそうなところを借りることにした。ルネはメールフォームのページが欲しかったからsendmail機能は必須なのだ。

 その次に必要なのはCGIだ。CGIはサーバー側で動作する一種のプログラムで、掲示板なども、これで書かれたものが多い。この場合はフォームに書かれた内容をメール送信するのだが、ルネはCGIに関するスキルがあまりないので自分で書くとなると面倒だ。しかし、自由に使うことを作者が許可しているフリーCGIが多数、公開されているので、検索して手ごろなものを選んだ。多少の知識があれば、自分の用途に合わせて適当にカスタマイズできるが、この場合は単純なものでよかったから、それほどいじる必要はない。

 スペースを借りたサイトのマニュアルは英文だったが、いわば定形文のようなものなので要領は掴みやすい。設定したCGIをサーバーに送り、フォームに書きこんでテスト送信してみると、うまく動くようだった。

********


 翌日も天気は良かった。ルネはメールフォームのURLをメモすると、その紙片をポケットに入れて、また渋谷に出て行った。
 山手通りを上っていくと、司 徳馬は同じ場所で店を開いている。ルネは前にしゃがんで並んでいる詩に目をやった。昨日見て記憶に残っているものもあるが、3分の2くらいは新しく書かれたものと入れ替わっているようだった。
 折り畳み椅子に腰掛けて新聞を読んでいた司 徳馬は、ルネに気づくと「やあ」と片手を上げた。普段の顔つきは色黒なためもあってか、少し険しさを感じるが、笑顔になると人を拒絶する雰囲気は消える。
「昨日言ってた知り合いを探してるのかい?」
 司 徳馬は続けて「ゲンさんってひとのことだよ」と言った。
「うん、まあ、それもありますが」
「何しろ、今、ホームレスは多いからね。役所では東京にいるホームレスの数が6000人強なんて言ってるが、とてもそんなもんじゃない」
「万単位の数ですか?」
「そうだね」
 司 徳馬は右手でピストルの形を作ると都庁のビルが聳え立っている方向に向けた。目を細めて狙いを定めている。
「何万人のホームレスが暴動を起こしたら面白いんだがね。世の中、引っくり返るかもしれない」
 ネズミヤシゲルなら、同じようなことを語るかもしれないとルネは思った。そんな時は、たぶん目を剥き出して唾を飛ばしながら喋るだろう。でも、ネズミヤは多摩で何者かに襲撃されて、既にこの世にはいない。
「ま、それほどの根性があったらホームレスになんかならないがね。野宿してる連中には背中に、結構立派な彫り物のある奴もいるよ。仲間うちでは元ヤクザとか粋がってるが、いざとなると不良の子供たちに簡単に殴り殺されちゃう」
 司 徳馬は小声で笑い、強めの陽射しに汗ばんだ顔をタオルで拭った。首をゆっくり左右に回して通りすぎる人々を眺める。
「その人は宮沢賢治が好きなんだったっけ?」
「宮沢賢治の詩集を読んでるのを見たことがあります」
「賢治は田中智学の創設した『国柱会』という宗教団体に入会していたんだね。上京してそこの下働きをしていたこともあるそうだ。純正日蓮主義の、今でいうカルトかな」
 司 徳馬は、暗唱でもするように澱みなく話を続けた。
「花巻で農学校の教師をしてたんだが、創作に専念するため退職したんだったっけね。でも、彼には文筆による収入なんて、たいしてなかったんじゃないかな。まあ、実家が裕福だから金には困らなかったんだろうが…。その辺のことは私も不勉強なので、よく知らないが」
「詩を書かれてるだけあって、いろいろ博学なんですね」
「いやあ、要するに暇な時間が多いからだよ」
 司 徳馬は笑ったが、それは自嘲気味にも感じられた。
「天気のいい日は、こうして店を開いてるが、雨の日や、冬場の寒い日なんかは図書館のお世話になるんだよ。あそこに入ってると暖かいからね。仲間は新聞を読むくらいで後は寝てるが、私は、それでは申し訳ないんで一応本を読んでる。どうせなら若い頃に勉強しておけばよかったんだがね。今更ながら思うよ」
 年寄りが若い頃について語る時の典型的な言い回しだったが、語調や表情からは、実際、彼にそういう気持ちがあるのかどうかわからなかった。
「まあ、賢治なんかも、今でいうニートだったといったら少し違うかなあ。そうだ、中原中也なんかは、まさにニートだねえ。裕福な実家からの仕送りで生活したんだし、詩集を出版する資金だって、たしか、そっちから出して貰ってたんだから」

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